反町隆史さんといえば、ドラマ「GTO」や「ビーチボーイズ」で一世を風靡した人気俳優。
現在でも「相棒」をはじめ様々なドラマで、その存在感は健在ですよね。
私もクールで芯のある演技と存在感と、大人の色気にメロメロな一人です。
私生活では松嶋菜々子さんとご結婚し、誰もが羨む家庭を築いてます。
松嶋菜々子の旦那さんは反町隆史!馴れ初めは『GTO』!子供はいるの?
そんな反町隆史さんが、実は“元ジャニーズ”だったというのはご存じでしたか?
さらに、「学歴は中卒?」という噂もあり、その背景には意外な学生時代の苦労があったようです。
この記事では、反町隆史さんのプロフィールから学歴、そして旧ジャニーズ時代や学生時代のエピソードについて、私がリサーチした内容を元に詳しくご紹介します。
反町隆史のプロフィールとデビューきっかけ
反町隆史 (そりまちたかし)
本名 野口隆史(のぐち たかし)
1973年12月19日生まれ
埼玉県浦和市(現さいたま市)出身
身長 181cm
血液型 AB型
芸能活動のスタートは意外にも「ジャニーズJr.」だったんです。
反町隆史さんがジャニーズ事務所に入ったのは中学時代の15歳。
ユニット「平家派」の一員として光GENJIのバックダンサーを務めていました。
グループの中には、後のTOKIOやV6のメンバーもいて、かなりの豪華メンバー構成だったことがわかります。
反町隆史さんと同じ年代に、国分太一さん、城島茂さん、国分太一さん、山口達也さん、坂本昌行さん、長野博さん、そして井ノ原快彦さんらがいます。
反町隆史のジャニーズ脱退の理由と名前の由来は?
当時、反町隆史さんは16歳でジャニーズ脱退してます。
理由は定かではありませんが、どうやら反町隆史さんの素行があまりよろしくなかったため事務所から解雇、との噂も。
ダンスのレッスンに参加しなかったり、ファンとの交際など、当時の反町隆史さんはやんちゃだったようです。
反町隆史さんもまた「思春期の反抗期」を全力で生きていたのだろうと思いました。
今では大分落ち着かれてますが、そのやんちゃな片鱗はそこかしこに感じます。
だからこそ、その後の成長がより際立つのかもしれません。
その後モデル事務所でモデルとして活動。
1994年に研音に移籍します。
その時に社長から「龍のような男になれ」と言う願いを込めて、プロボクサーの「龍反町」から芸名を「反町隆史」に改名したそうです。
カッコイイ名前つけますよね!
「反町(そりまち)」なんて、字の見た目も響きもいいし、なにより印象に残りますよ!
すごいセンスだと思います!
あまりにもピッタリ過ぎて、感動しますよ!!
反町隆史の学歴は?
反町隆史さんの出身小学校は、地元の公立校である浦和市立大谷場小学校です。
家庭はごく普通の4人家族で、お父さんはサラリーマンだったそうです。
この頃はサッカー少年だったようで、地元のクラブチームで本格的に練習していたとか。実際、将来の夢は「プロサッカー選手」だったそうです。
釣り好きとしても知られており、すでにこの頃から趣味のバスフィッシングを始めていたという情報もあります。
きっとお父さんの趣味だったんでしょう。
息子とそんな時間を共有できるなんて、ステキですね。
中学は、小学校と同じ学区の浦和市立大谷場中学校に進学します。
ここでの反町隆史さんはサッカー部に所属していたそうですが、練習は相当厳しく、先輩からの特訓に耐える日々だったとのこと。
後に「この厳しい経験が今の自分を作ってくれた」と語っています。
まだスパルタで練習中に水も飲ませてもらえないような時代。
今では考えられないような上下関係やしごきがあったのかも知れません。
辛い時期を糧にして、耐えてきたこともたくさんあったでしょうね。
この中学時代にジャニーズ事務所に入所。
芸能活動を始めたことで、普通の中学生活とは一線を画していたとも言えます。
中学卒業後は高校ではなく「浦和情報文化専門学校 高等専修課程 情報ビジネス科」に進学します。
ただしこの専門学校も中退しているため、最終学歴としては中卒という扱いになります。
この専門学校への入学と同時期にジャニーズを辞め、ファッションモデルとしての道を歩み始めます。
ラーメン屋でのアルバイト中、先輩に「身長高いしモデルやってみたら?」とすすめられたのが転機だったそうです。
その後、「メンズノンノ」などで人気モデルとして活躍し、17歳でパリコレにも出演。ファッション界でも一目置かれる存在に成長していきました。
まとめ
中学時代のサッカー部での厳しい練習、練習中は水を飲むことを禁止され、トイレの水飲んでいたそうです。
ジャニーズ時代のプレッシャー、そして思春期特有の反発心…。
反町隆史さんも現在のキャリアを築くまで、紆余曲折ありました。
決して平坦ではなかったようです。
芸能界デビュー後も順風満帆とはいかず、履歴書をテレビ局に持参した際に、その場でゴミ箱に捨てられたという話も。
それでも1997年のドラマ「ビーチボーイズ」、翌年の「GTO」での大ブレイクが、反町隆史さんにとっての転機となりました。
私もリアルタイムで観ていた一人ですが、あの時の反町隆史さんの輝きは、今でも強く印象に残っています。
ジャニーズを経て俳優へ——波乱万丈の青春を糧に
反町隆史さんの芸能界デビューは、まさに「波乱万丈」。
中卒・ジャニーズ解雇というマイナスからスタートしたものの、ファッションモデルとして成功し、俳優としての地位を確立した現在まで、一貫して「自分のスタイル」を貫いてきました。
私が今回調べていて感じたのは、表には出ない努力や葛藤が、反町隆史さんの内面を深くしているということです。
だからこそ、彼の演技には説得力があるのだと思います。
これからも、反町隆史さんのさらなる活躍を応援したいです。