阿部寛さんといえば、その端正なルックスと190cmという圧倒的な長身、さらに三枚目キャラもこなすギャップで、幅広い世代に人気の俳優ですよね。
出演作『ドラゴン桜』や『下町ロケット』では、演技力の高さだけでなく人柄の良さがにじみ出る俳優さんだと感じています。
今回はそんな阿部寛さんの実家や家族構成、そして学歴に迫ってみました。
意外な素顔やエピソードがたくさんありましたので、ぜひ最後までご覧ください。
阿部寛のプロフィールとデビューきっかけ
- 本名:阿部 寛(あべ ひろし)
- 生年月日:1964年6月22日
- 出生地:神奈川県横浜市
- 身長:190cm
- 血液型:A型
- 所属事務所:茂田オフィス
阿部寛さんが芸能界に入ったのは、大学在学中に応募した「第3回ノンノボーイフレンド大賞」がきっかけでした。
姉のすすめで応募し、なんと見事にグランプリを受賞。
阿部寛さん自身は「賞品の車が欲しかっただけ」と語っていました。
ですが、この出来事が運命の分かれ道になったのは間違いありません。
その後は『メンズノンノ』でカリスマモデルとして大活躍し、後に俳優へと転身。
最初は不遇の時代もあったそうですが、演出家・つかこうへいさんの元で演技を磨き、2000年のドラマ『TRICK』で俳優としてブレイク。
その後は、『テルマエ・ロマエ』や『下町ロケット』で国民的俳優となりました。
阿部寛の実家の家族構成は?
阿部寛さんの実家の家族構成は5人。
父、母、兄、姉、そして本人です。
父親はエンジニアで温厚な人物
阿部寛さんのお父さんは、エンジニアとして「コマツ」に勤務していた可能性が高いとのこと。
なんと、世界最大級のダンプトラック「コマツ930E」の開発に関わっていたという噂もあります。
リアル「下町ロケット」ですね。扱う機械は違くとも、技術者肌は幼い頃から見てきたんでしょう。
お父さんは1927年生まれで、身長は156cm。
ですが、阿部寛さんは「背中で生き方を見せる、寡黙で優しい人」と語っており、尊敬の念が強く感じられます。
実際、出演作の舞台挨拶にもよく訪れるそうで、家族愛を感じますよね。
母親は教育熱心で社交的な存在
お母さんは阿部寛さんが35歳の時にガンで他界されたそうです。
身長は161cmで、当時の女性としては高めだったのが印象的。
もしかすると、阿部寛さんの高身長はお母さん譲りなのかもしれません。
阿部寛さんは母親に対して、「若い頃は迷惑ばかりかけて冷たくしてしまった」とイベントで後悔の念を語っており、亡くなった後も深く感謝の気持ちを抱いていることが分かります。
「この顔に産んでくれてありがとうございます」
映画『テルマエ・ロマエ』の舞台挨拶でのこの一言は、私の中でも印象的でした。
阿部寛の兄と姉はどんな人?
阿部寛さんにはお兄さんとお姉さんがいて、
兄はエンジニアとして父と同じ道を歩んでいるようです。
身長は170cm台と、阿部寛さんほどではありません。
姉はというと、大学時代に阿部さんにノンノボーイフレンド大賞への応募をすすめた張本人。
芸能界デビューのきっかけを作った立役者ですね。
現在は横浜でケーキ屋さん「シュシュ」を経営しているという噂もあります。
それぞれがご自分の道を歩んでるんですね。
阿部寛の学歴は?
阿部寛さんは、小中高と公立校に通い、大学は中央大学理工学部へと進学しました。
小学校:横浜市立三ツ沢小学校
阿部さんの出身小学校は横浜市立三ツ沢小学校。小さい頃から負けず嫌いで、特にかけっこが得意だったとのこと。
運動神経の良さは、俳優業にも活かされているように思います。
中学校:横浜市立松本中学校
次に進学したのは横浜市立松本中学校。
中学時代には、かつて足で勝てなかったライバルに「生徒会選挙の応援演説を頼まれた」というエピソードも。
阿部寛さんはそれに応じ、演説は大ウケだったそうです。
正直、ここで人前で話す楽しさや注目される喜びを味わったことが、後の芸能活動に繋がったのでは?と私は思いました。
ユーモアセンスもこの時すでに兼ね備えてたんですね。
高校:神奈川県立白山高等学校(偏差値45)
阿部寛さんはその後、神奈川県立白山高校に進学。
ここでは陸上部に所属し、200m走の選手として活躍していたそうです。
白山高校は進学校というよりは普通科の高校で、大学進学率もそれほど高くないとか。
それでも阿部寛さんは猛勉強し、見事に中央大学への進学を果たしました。
努力家の一面がここにも見えますね。
阿部寛、大学は中央大学に進学
阿部寛さんが進学したのは、中央大学理工学部 電気工学科(偏差値55)です。
場所は東京都文京区で、地下鉄後楽園駅や春日駅が最寄り駅。
理系の大学として有名な中央大学で、阿部寛さんは電気工学を学んでいたんですね。
学科選択はやはりお父さんの影響でしょうか。
お兄さんといい、血は争えませんね。
大学時代に姉のすすめで応募したコンテストで芸能界入りし、そのままモデルの道へ。
ここからまさに“阿部寛伝説”の始まりです。
ちなみに、芸能活動を本格化してからは一時パチンコで生計を立てていたというエピソードもあります。
人気の浮き沈みを経て、それでも努力を続けた姿勢には本当に頭が下がります。
まとめ
今回リサーチして強く感じたのは、「阿部寛さんは見た目以上に努力家で、家族との絆が深い人」だということです。
阿部寛さんの演技には、こうした人生の経験が深く刻まれているのだと思いました。
- 家族構成:5人家族(父・母・兄・姉・本人)
- 学歴:中央大学理工学部 電気工学科卒
- 芸能界デビューのきっかけは、姉がすすめたコンテスト応募
私自身も阿部寛さんのように、どんな状況でも諦めずに前を向いて進む姿勢を見習いたいと感じました。
今後も彼の活躍から目が離せません!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。